MDS profile

当サイトの管理者mampaylennonで、私は政平 穣(まさひら ゆたか)と申します。
私は防災士として、令和6年6月、兵庫県防災士会に入会しました。
今後、兵庫県防災士会会員として、兵庫県内で防災啓発活動に取り組んでいきます。
実は私は、高知県高岡郡四万十町出身です。以前、京都市に住んでいました。
土佐の英雄坂本龍馬とイギリスのロックバンドTheBeatlesとプロ野球の阪神タイガースのファンです。
個人事業主 屋号MDS(Mampay Disaster prevention awareness Service)を2020年に始めました。
MDS(Mampay Disaster prevention awareness Service)コンセプト
MDSのコンセプト:災害に備えて、私たちが普段から準備しておくこと
阪神淡路大震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、
震災から得られた経験や教訓を風化させることなく、次世代へ語り継いでいくため、
震災以来、私どもは防災の仕事に携わっております。
このサイトを通じて、一人でも多くの方がケガをせずに避難できれば幸いです。
普段から準備しておくことで、災害が発生した時に、私たちはケガをせずに避難生活を過ごせます。
「地震が来たらどうしよう?」「台風が来たらどうしよう?」という心配も無くなりました!
普段から準備しておいて本当に良かったです。
MDS事業概要
個人事業主:屋号MDS (2020年4月14日 脇町税務署に個人事業の開業・廃業等届出書提出)
開業日:令和2年4月1日
事業の概要:アフィリエイトサイト等での広告宣伝
セールスライティング案件等の受注発注
防災啓発等
適格請求書発行事業者の登録年月日(2024年1月5日付 高松国税局インボイス登録センター)
登録番号:T4810101631145
阪神・淡路大震災

引用画像:総理府「阪神・淡路大震災復興誌」平成12年2月23日
1995年(平成7年)1月17日に発生した
兵庫県南部地震による大災害(阪神・淡路大震災)では、
兵庫県を中心として近畿圏の広域が大きな被害を受けました。
震源に近い神戸市市街地での被害は特に甚大でした。
当時、私は京都市西京区に住んでいました。
京都市でも震度5の揺れを観測しました。
自宅は集合住宅の5階でしたが、
下から突き上げられる衝撃で目が覚めました。
子供たちと川の字になってベッドで寝ていましたが、
子供たちの上に覆いかぶさるのが、やっとでした。
腰が抜けてように起き上がれませんでした。
わずか数十秒の揺れでしたが、ものすごく時間が長く感じられました。
食器棚が倒れて、お皿や茶碗が外に飛び出して割れて、
そこらじゅうに散らかっていました。
急遽(きゅうきょ)、
地域の自治会で毛布などを集めて
西宮市の香櫨園(こうろえん)小学校へ届けました。
小学校の近くでは、まるで怪獣ゴジラが街を壊したかのようでした。
たくさんの家が壊れて瓦礫(がれき)の山になっていました。
瓦礫が道路がふさがれていて、救急車もなかなか来なかったようです。
瓦礫の下で多くの人々が亡くなりました。
当時、仕事でお世話になった方が伊丹市の避難所に居ましたので、
休日を利用して、差し入れを持ってお見舞いに行きました。
避難されたばかりで、差し入れの温かいおでんには喜んでくれました。
避難された人々に対して、私は何をしたら良いのかわかりませんでしたが、
私にも何かできることがあれば、お手伝いできるのにと考えていました。
阪神・淡路大震災当時の思い

結論から言うと、
阪神・淡路大震災を経験した私は、防災の仕事に携わるという志を立てました。
私が志を立てた、その理由とは?
私が志を立てたのには、理由があります。
防災の仕事への思い

当時私は、二つの相反する気持ちの間で悩んでいたからです。
それは、避難された人々に対して何かお手伝いしたい気持ちと、
生活のために仕事を休んではいられない、
という二つの気持ちの間で、私は悩んでいました。
避難された人々に対して、
私にも何かできることがあれば、お手伝いできるのに...
かといって、仕事を休んで、毎日毎日、避難所へ行って、
何か手伝う事は私にはできません。
それは、私が仕事を休めば、
その分収入が減ってしまって生活ができなくなるから。
何かお手伝いしたいけど、家族の生活のことを考えると仕事を休めない。
もし私の身体が二つあれば、被災された人々へのお手伝いと私自身の仕事と両立できるのに...
そのことが本当に残念で悔しくて、たまりませんでした。
なので、仕事として被災地支援にあたっている職員の人たちが、
私は正直羨(うらや)ましかったです。
例えば、
医療機関職員、消防署職員、警察官、自衛官、府県市町村などの職員の人たち。
私は10年前に陸上自衛隊第45普通科連隊を除隊していました。
同期の隊員は災害派遣で被災地へ行っていました。
遺体の捜索や遺体の搬送をしていました。
当時、私は仕事のかたわら、
京都市西京区西境谷町の自治会で自主防災部部長をしていました。
しかし、本業の仕事として、
被災された人々に対して、もっともっと何か手伝ったり、
南海トラフ地震に備えて防災関連の仕事をしたかったです。
残念ながら、当時そういった仕事の求人募集が全く無く、
私自身の年齢や資格経験の無さが本当に悔しかったです。
自業自得ですよね。(泣)(´;ω;`)ウゥゥ
その後私は、防災士の資格も取り、防災関連の仕事を探し続けました。
本業の仕事を転職しても、防災の仕事に携わるという志を立ててからは、
その志が心の支えになっています。
以来、私には防災という志があり、
毎日が充実していて、心も今までになく大変穏やかになりました。
亡くなられた人々への思い

阪神・淡路大震災では、
私に比べて未来のある子供たちや責任のある立場の多くの人が亡くなってしまいました。
どうせなら、その人たちの代わりに私が犠牲になっていれば良かったのに...
こんな私は生きていても良いのだろうかと、私が生きていることが罪なのではと、
震災で生き残ったことに罪悪感を感じて自己嫌悪になってしまいます。
サバイバーズ・ギルト (Survivor’s guilt) と言われるそうですね。
こんな私って、おかしいですよね。変わってますよね。
世間一般のごく普通の人々とはちょっと違うように思います。
なので、日常生活でも常に孤独感を感じています。
そんなことを忘れるためにも、日常生活の孤独感を埋めようとして、
阪神・淡路大震災以降、
私は、生涯の志として防災に関わった仕事をしていこうと考えました。
防災に関わった仕事をしていて、災害現場で命を落とすことあったとしても、
それが私の本望のように思います。
ちなみに元警察署長だった私の父親も、
道路建設現場で部下が設置した爆薬が不発だった為、爆薬の状態を確認していて、
爆発に巻き込まれ、肘から先の右腕を切断する大けがを負いました。
その後、義手を装着していましたが、
そのケガがもとで心臓の負担が大きくなり、私が小学校6年の時に亡くなりました。
私も父の血を継いでいるのかもしれません。
自閉スペクトラム症(ASD)
私は、周りの空気が読めないと、同僚から言われたことが時々ありました。
最初に言われたのは、2007年から2010年、私が保険代理店に在籍していたころ、社長から言われ、しばしば説教されていました。顧客の言葉をうのみにして、顔の表情から顧客の本音が読み取れなかった事が度々あったからです。
次に、2023年徳島県でアルバイトしていたころ、同僚の声が聞こえずに、黙々と作業していた時に、臨機応変な対応ができず説教されていました。引き続き、その職場で働こうと考えていた私にとって、ショックが大きかったです。
そこで、徳島県東みよし町にある福祉施設「ゆうあいホスピタル」にて心理テストを受けてみました。心理テストの結果、自閉スペクトラム症(ASD) の特徴が多くみられるとのことでした。
その特徴として、落ち着いて一つの事に集中できる状況では、私は能力を発揮できますが、ミスをしたり答えに迷ったりすると焦りが生まれて、ミスが出やすくなりました。
社会的なルールは理解しているが、一言にまとめて説明する事は苦手のようで、正しく説明しようとするあまり、何が言いたいのか私自身も分からなくなることもありました。
目の前の課題に集中して取り組む場合は、素早く正確に取り組める強みがあります。ただ、いくつかの情報を同時に頭の中で操作しながら取り組むような作業では、切り替えがうまくいかず、理解に時間がかかったり間違えたりしていました。
徳島県西部総合県民局では、私の強みである、興味のある防災の仕事で、私のペースで自分のやり方で取り組むことができていたので、防災出前講座の講師の仕事では、私の弱点(自閉スペクトラム症の特徴)が強調されずに目立っていなくて、仕事を長く務めることができたように思います。
私の弱点(自閉スペクトラム症の特徴)を強みに変えて、興味のある防災の仕事で、落ち着いて一つの事に集中できる状況として、アフィリエイトサイトへ記事を投稿するという仕事は、まさに私にとって良い環境だと思います。こうした仕事の環境の面でも、私が防災の仕事を続ける事には重要な意味があると思っています。
さらに講師としての仕事は、多くの人々の前で話をするので、自閉スペクトラム症(ASD) の私にとっては苦手な分野ではありますが、徳島県西部総合県民局での防災出前講座の講師の仕事の経験を思い出すと、私の弱点(自閉スペクトラム症の特徴)が強調されずに目立っていなくて、仕事を続けられると思います。
そこで、2025年度には、日本防災士会第2回DMI研修に参加して、防災出前講座講師としてのスキルを身につけようと努力しています。自閉スペクトラム症(ASD) の私にとって、興味のある防災の仕事を続けることで自閉スペクトラム症(ASD) の壁を何とか乗り越えようと考えています。天は乗り越えられない試練は与えないと言われていますから。
現在の防災啓発活動
東日本大震災後の活動

東日本大震災当時、高知県危機管理部南海地震対策課での臨時職員として、
南海トラフ地震対策に取り組んでいる県職員を手伝っていました。
そこでは、高知県の南海トラフ地震対策を学ぶ本当に貴重な経験をしました。
その後、高知県香美市まちづくり推進課の臨時職員として、
香美市内の自主防災組織の新規設立に取り組んでいる市職員を手伝っていました。
また、日本防災士会高知県支部の活動にも携わりました。
兵庫県尼崎市のNPO法人シンフォニーでは、
兵庫県阪神南県民局の「平成25年度阪神地域防災リーダー講座フォローアップ事業」事務局として、
平成24年度阪神地域防災リーダー講座修了生のフォローアップ講座を企画実施しました。
その際、阪神地域の兵庫県防災士会、さんだ防災リーダーの会の方々にも講師を何度かお願いしてい ました。
令和元年度より令和6年3月まで、家内の実家のある徳島県にUターンして、
徳島県西部総合県民局地域創生観光部危機管理担当に勤務していました。
危機管理担当では、主に、とくしまゼロ作戦防災出前講座の
徳島県西部圏域(三好市・美馬市・東みよし町・つるぎ町)の事務局として、
徳島県西部圏域の徳島県立西部防災館、美馬市生活福祉課、東みよし町危機管理課、東みよし町福祉課、徳島県立池田高校定時制、美馬市社会福祉協議会、三好市社会福祉協議会、美馬市立岩倉中学校等で防災出前講座の講師も担当していました。
また、日本防災士会徳島県支部にも所属しており、防災啓発活動として、
徳島県立西部防災館、池田高校辻校、美馬市立穴吹中学校、徳島市立上八万中学校、美馬市の芳越自 主防災会での防災出前講座では講義・DIGの講師を担当しました。
私は心の底から願っていた仕事ができ、本当に嬉しかったです。
しかし非正規職員だったので生活は生活は苦しく、朝刊の新聞配達のアルバイトをしていました。
生活は苦しかったですが、以前のように、職場でストレスを感じることが無く、
毎日が充実していて、心も今までになく大変穏やかになりました。
現在の活動

防災啓発活動。
防災について、地域の人々に広めていく中で、
災害が発生した際には、
一人でも多くの人がケガをせずに避難できるように、
日々頑張っています。
義理の両親が徳島県出身で、
父を亡くした私のことを実の息子のように可愛がってくれました。
その両親も、この数年の間に亡くなりました。
亡くなった義理の両親への親孝行のつもりで、
徳島県で暮らしている人々が災害の時に無事に避難できるように
防災啓発活動に携わっていました。
私の仕事ぶりを見て、義理の両親も喜んでくれたと思います。
令和6年度より、家内と共に大阪市東淀川区で暮らしています。
兵庫県防災士会の防災啓発活動にも携わっています。
今後について

阪神・淡路大震災を経験した私は、防災の仕事に携わるという志を立てました。生涯を通して、今後も防災啓発活動に携わっていこうと考えています。
そこで2020年(令和2年)、防災啓発関連のアフィリエイトサイトMDS(Mampay Disaster prevention awareness Service)を新たに立ち上げました。
このサイトでは、兵庫県防災士会の防災出前講座での講義内容などを、これからも皆様にお話していきます。
また、2025年度には、日本防災士会第2回DMI研修を修了し、その後、日本プロフェッショナル講師協会(JPIA)での研修も修了して、防災出前講座講師として自治体の課題解決にも努めていきたいと考えています。
普段から災害に備えておくことで、災害によって大規模停電が発生した時に、私たちはケガをせずに避難生活を過ごせます。
「地震が来たらどうしよう?」「台風が来たらどうしよう?」という心配も無くなりました!普段から準備しておいて本当に良かったですね。
このサイトを通じて、皆様の、災害への備えがより充実し、一人でも多くの方がケガをせずに避難でき、自然災害で亡くなる人々が一人でも少なくなれば幸いです。